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『舞姫』(まいひめ)は、川端康成の長編小説。川端が作中で初めて「魔界」という言葉を用いた作品である〔黒崎峰孝「川端康成における『魔界』思想―『仏界易入 魔界難入』を手掛かりとして―」(明治大学日本文学、1979年9月)〕〔今村潤子「『舞姫』論」(『川端康成研究』)(審美社、1988年)〕。夢を諦めた元プリマ・ドンナの一家の孤独な人間関係を描いた物語。過去の舞姫の母から夢を託された娘、妻の財産にたかっている守銭奴の夫、親や国に対して冷めている息子、優柔不断な元恋人、といった無力感に取り巻かれた関係性の中に、敗戦後の日本で崩壊してゆく「家」と、美や充足を追い求め「乱舞」する人間の永劫回帰の孤独な姿が描かれている〔三島由紀夫「解説」(文庫版『舞姫』)(新潮文庫、1954年。改版2011年)〕〔三島由紀夫編『文芸読本 川端康成』(河出書房新社、1962年)〕。 1950年(昭和25年)12月12日から1951年(昭和26年)3月31日まで『朝日新聞』に109回にわたって連載された新聞小説で、単行本は連載終了同年の7月に朝日新聞社より刊行された。文庫版は新潮文庫で刊行されている。1951年(昭和26年)8月17日には、成瀬巳喜男監督により映画化された。 == 川端康成と「魔界」 == 『舞姫』には、のちに川端文学の重要なモチーフとなる「魔界」の元となった一休の言葉、「仏界易入 魔界難入」が用いられ、「仏界と魔界」という独立した章も設けられている。川端は『舞姫』の執筆前あるいは執筆中に、この「仏界、入り易く、魔界、入り難し」という言葉に初めて出会い、強く惹かれて作品の主題にしたものと推測されている〔〔。 この一句について川端は『舞姫』の中で、〈日本仏教の感傷や、抒情〉などの〈センチメンタリズム〉をしりぞけた〈きびしい戦ひの言葉かもしれない〉と登場人物に語らせているが、『舞姫』ではそれが自問自答の域を出ずに、登場人物に、それを体現する強いキャラクターの造型がなされないまま終わり〔、この〈魔界〉のテーマをもう一歩深め、明確になっていくのが、のちの『みづうみ』(1954年)、『眠れる美女』(1960年)、『片腕』(1963年)となる〔〔。森本穫はそのことを、「場合によっては作家としての存在そのものを脅かすかもしれない危険にみちた世界」を描いていくことになると表現している〔森本穫「川端康成『みづうみ』私論」(函 1973年9月号に掲載)〕〔。 川端の〈魔界〉の特徴は、禅でいう煩悩の世界、煩悩の諸相を描きながらも、それを自然主義的な方法で暴露としての「悪や醜」と捉えるのではなく、「人間が本然の姿で生きるところに純粋さが存在する」とみて、煩悩に生きる人間が「自己投企」してゆく姿を「美」と捉えたところにあり〔、煩悩(現実の醜)を「美」に昇華してゆくということが、川端の作家としての方法だと今村潤子は考察している〔。原善は、「人間存在の原初的な不安や悲しみ」の世界が〈魔界〉であり〔原善『川端康成の魔界』(有精堂、1984年)〕、それは、「救済を求めつつ果たされぬ、その不可能性を内実としているもの」だと解説している〔。 川端は、「仏界易入 魔界難入」について次のように語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「舞姫 (川端康成)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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